エコロジカル的公正

エコロジカル的公正

”ごうしいも”を掘り上げました。
徳島県東祖谷地域で江戸時代から栽培されてきた在来種の芋。
多くが高齢者の方々の手で引き継がれています。
小さく実が詰まり煮崩れしない芋は、茹でて自家製の味噌をつけていただくのが定番

他の地域で育てると、大きさも味も変わってしまうというお里贔屓の芋
縁があり、Largoの小さな畑でも栽培してみました。

言われた通りお彼岸に植えつけた芋は、土の中でどんなふうになっているのか気を揉む私達をよそに
ちゃんと”ごうしいも”らしく育ってくれました。

手のひらに三つ四つと乗る芋を見ながら、エコロジカル的公正という言葉を思い出しました。

それは、世代間の公正や次世代への継承も含めた、資源を生き物全てで共有することで保たれるバランス

 

 

徳島の県西部の山間部は、海外の方の目線では桃源郷やユートピア、Shangri-laと表現されます。
ごうしいもの主な産地もこのあたり。
しかし、振り返れば山の斜面に突如白いプラスティックの円柱が何十本もにょきにょきと立つギョッとする光景を目にすることがあります。

植林したての苗木の鹿よけのためのカバーです。

野生動物と人の暮らしのバランスの悪さはここだけではなく、日本中で海外でも問題になって久しいですが、時代の流れのひとつとなっているのが常のようです。

「人間が温暖化の原因」

先日、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)において【人間が地球の気候を温暖化させてきたことに「疑う余地がない】とする報告書*が公表されました。
「人間が温暖化の原因」と断言された報告書は初めてということの方に驚き。

* 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書第1作業部会報告書(自然科学的根拠)の公表について:文部科学省 (mext.go.jp)

 

「社会を創る意識の始点」

温暖化に限らず(生き物すべてにとっての)懸念すべき環境の変化、災害や被害の発端の多くは、やっぱり人間。
ウイルスにより、世界中が共通の困難を強いられ、生活や働き方を変え、生き方を考えざるを得なかったここ数年。
そろそろ、耳にタコのような「資源は、命あるものの全てが共有していること」について、ここ(エコロジカル)を始点として社会を創る意識を、醸成していく時期がきていると考えています。

「きっかけに過ぎず」

あらゆる分野が立ち止まり、今一度深く考えるのが必要な時期で、ウイルスはただのきっかけ
そういうにはあまりにも沢山の命が犠牲になっています。
だからこそ、それだけ大切で、賢い選択を促されているようにも感じます。

次世代への資源の継承と経済的な合理性を一致させるのは、決して一筋縄ではいかない
けれど、進む方向が全く想像できないほど難しいものとは思えません。
エコロジカル的な公正は、共通の意識をもって目的にむかう倫理感や道徳といったものも必要なのでしょう
それを考えるのが今のような気がしますが、思い違いでしょうか。。

新型ウイルスの影響により、大気汚染が改善された地域もあるそうです。
ごうしいもを手に、かがめた腰を伸ばし見上げる空にはこの状況下にあっても
変わらず降るような星がみられます。
この貴重な星空は嬉しくもあり寂しさもあり